ライトと遠藤新、二人を繋いだ帝国ホテル

ライトと遠藤新、二人を繋いだ帝国ホテル

こんにちは!
今回は前回予告していたフランク・ロイド・ライト(以下ライト)と遠藤新、
二人に関係の深い帝国ホテルをご紹介致します。

ライト「落水荘」で名を馳せたフランク・ロイド・ライト
出典:Wikipedia

ライトは1867年にアメリカはウィスコンシン州に生まれ、日本に来日したのは1913年(大正2年)。
帝国ホテル新館設計のために日本に呼ばれたライトでしたが、
大幅な予算オーバーと工期の遅れが仇となり、
完成を待たずしてアメリカへ帰国するという不測の事態が起きました。
地震大国である日本の風土に合わせた耐震性と、
当時日本の建物の多くが木造という点を考慮したライトの設計は、
当初の予算150万円から6倍の900万円に膨れ上がっていたとも言われます。

帝国ホテル現在は明治村に再現されている帝国ホテル
出典 Wikipedia

ライトが帰国した後、設計責任者を弟子である遠藤新が引き継ぎ、
一部営業を続けながら着工から4年の歳月を経て、大正12年の7月に本館が完成しました。
同年9月1日に予定されていた落成記念披露宴の準備に追われていたであろう11時58分、
関東大震災が東京を襲い、周辺の建物が倒壊や火災に見舞われている中、
帝国ホテルはほぼ無傷の状態で大震災を乗り越えました。
膨大な予算がつぎ込まつつも、ライトの設計は世間に証明され、
このことを手紙で知ったライトは、狂喜乱舞したと言われています。
「落水荘」をはじめとした作品で名を馳せたライトは、
完成した帝国ホテルを見ることなく、91歳でこの世を去りました。

遠藤新遠藤 新
出典元:リンク

弟子である遠藤は、「西の帝国ホテル」と呼ばれる甲子園ホテルや
前回ご紹介した「加地邸」を設計しましたが、
これらの建物は、いずれも独創性のない「ライトの真似事」として世間から
評価を受けることはありませんでした。
しかし、遠藤の作品は彼の没後になり多くの人に親しまれる、
広がりのある空間作りを実現したと再評価されました。

こうした歴史のある洋館や建物が残る湘南や鎌倉・逗子・葉山など、
神奈川の海沿いエリアに住んでみようと思ったことはあるでしょうか?
次回からは、湘南エリアのライフスタイルを提案致しますので、
どうぞご期待下さい!

(nabe)

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