こんにちはokanoです。
今回で3回目となる「都心派?、郊外派?、それとも中間派?」のブログですが、
私の推測で個人的な考えをつらつらと書いていますので、間違っていないかな、、、と
不安になる事もありますが、約10年間の東京暮らしで感じていたこと(?)を
まとめるような感じで書いてます。ですので、いろいろとご容赦ください!
さて、前回2回目のブログでは生活する人の感覚として持っている
「都心」とはなんだろうか?ということで書きました。
<<都心派? 郊外派? それとも、、、中間派?(1)>>
<<都心派? 郊外派? それとも、、、中間派?(2)>>
いままでの2回分をまとめると、、、
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交通インフラが縦横無尽に整備された東京においては離れた場所でもそれなりに便利なので、
なかなか郊外という概念を抱くことは難しいのではないか。
そう考えると「都心でない=郊外」という2局的な考え方ではなく、都心でもなく
郊外でもない「中間的な場所」が東京のほとんどを占めているのはないか。(きっとそうだ!)
では、それって何なんだ??
そもそも「都心」って何?
用語としての都心ではなく、生活する人の感覚として持っている「都心」はやはり開発されて
便利なエリア。そして隈無く張り巡らされた地下鉄やJRのインフラを楽々利用できてどこへでも
アクセスし易いエリアなんだろうな。
娯楽もオフィスも、そして緑もあって全てがコンパクトにまとまった「中心地」が「東京都心」という
エリアなのではないか。
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というような内容でした。
こうやって書いてみると、当たり前のこと書いているだけですね(失言)
書いてみたら意外と当たり前のことなのですが、引き続き書きたいと思います!
この「都心」という考えは、そのベースに交通インフラがあります。
でもそもそも交通インフラは必要だから整備されたもの、という見方もできると思います。
つまり、皇居を中心とした「千代田区/中央区/港区(狭義の都心)」と新たに副都心になった
「新宿/渋谷/池袋/大崎など」を結ぶような形で地下鉄などが整備され、そして発展していくことで
今の「都心」が形成されたのだろうなと。
ここで重要だと思う事はいくつかあって、
(1)公園などの緑がある!
(おでかけガイドより)
皇居、上野恩賜公園、代々木公園、新宿御苑、明治神宮外苑、芝公園、浜離宮恩賜庭園などなど
緑豊かな環境が都心にはあるんです。
江戸からの歴史があるエリアなので、周辺地域よりも緑豊かで気持ちいスポットが多かったりしますよね。
この環境を享受できる!という状況も都心がオフィスだけではなく、「住まう場所」として人気がある
1つの要因だと思います。
余談ですが、NHKで以前放送した「明治神宮 不思議の森」という番組はすごく面白かったです。
手つかずの自然が都心のど真ん中にあるなんて~!と驚きと感動の番組でした。
(2)明治時代には何もなかった副都心エリアが「都心」として機能した!
都心として考えているエリアの半分は江戸から続くエリアですが、もう半分は明治時代には
何もなかったということ。これって今の東京という都市を考える上でとても重要なことだと思います。
前回のブログでおまけとして「古地図」がみれるサイトをご紹介しましたが、そのサイトで
明治地図をみると一目瞭然!
地図には山手線の西側エリアは載ってないのです。
そして、山手線の東側エリアは錦糸町くらいまでバッチリ載っているのです!!
次回書く予定のブログにも関係してくると思うのですが、東京の東側は既に庶民が暮らすエリア(下町)として
開かれた状態でした。そして明治以降の発展を遂げるたのめ都市機能としてはこの状況は逆に
整備しづらかったんだろうなと。なので、何もない「新宿/渋谷/池袋」エリアが新たな都心(=副都心)と
して整備の対象になったのではないかと!
この考えで東京の成り立ちを考えるといろいろと合点がいくこともあるので、
そうなのだろうな~と思います。
働く場所として/憩いの場所として/楽しむ場所として、様々な欲求を満たす場所、
それが都心の要素であり、そのベースに交通インフラがあることで、みんなが
集まり、みんなが求める場所(=都心)になったのではないでしょうか。
じゃー郊外ってなんだ??
というわけで、次回はその周辺に広がる中間~郊外のことを考えてみたいと思います。
(もう少し続きそうです、、)
oka no